2008年1月24日(木)、未来会館2階ホワイエにて行われた平岡 直起選手の引退記者会見の模様をご報告いたします。
【今西GMのコメント】
平岡選手はご存知のとおりJリーグで200試合以上出場した選手なのですけれども、一旦は引退を決意していたところに、森山選手から「ぜひ、うちのチームに」と力を貸してほしいということで、それでは、とりあえずやってみようかということでほんとに、3段飛びで東海二部、一部、JFL、そしてJ2というジャンピングで昇格を果たせた、その、一番大きな功績者だったろうと思っています。当クラブとしても彼には今シーズン貴重な左サイドの選手として期待はしていたのですけれども、今後のことを考えて新しい道に転身したいと申し出がありまして、慰留に努めましたのですが、意思が固く、昨シーズンをもって退団となりました。あとは、多分、指導者としての道を歩まれるかと思いますが、指導者としても彼の人柄、あるいはリーダーシップは非常に大きな指導者としての成功を収められるのではないかと期待いたしております。
【平岡 直起選手のコメント】
2007年をもちまして選手生活にピリオドを打つことに決めました。
本来なら今年Jリーグでやるチャンスがあったのですが、今後の人生を考えたうえで指導者の道に進みたいという意思があり、また、サッカー人生16年間歩んできた中で経験した3年間は、チームも素晴らしかったですけれども、人生の中でも一番幸せな3年間だったので、辛く、いろいろ考えたのですけれども最大の目標であるJリーグ入りが達成できたので、引退するには一番いいタイミングではないかと思い決意しました。
--印象に残る試合は?
全てが印象に残るのですけれども、東海二部の最終戦で7-0で勝たなければいけないという試合で、自分自身が3点取れて、その試合が岐阜の3年間で印象に残っている試合です。
--J2で戦う若手に対して
いろんな選手がいるなかで、Jリーグを経験して、また下のレベルでやって、自分たちの力でJリーグの舞台に戻れたわけですから、1日24時間をサッカーにかけてほしいという思いです。初めて経験する選手も何人かいますので、Jリーグは素晴らしい舞台だと思いますし、1試合でも多く試合に出れるように頑張ってもらいたいです。
--これからは?
基本的には指導者を目指していく予定です。やはり、サッカーから離れることはできないです。
--引退するのは二度目となりますが、一度目と二度目の違いはありますか?
一度目の引退時はエスパルスを去ったあとJリーグでプレーするチームがなく、自分の中でどうすればいいのかという半年間を過ごしまして、仲間を通じて岐阜に転がり込んできて、森山さんの誘いを受けFC岐阜に入ることになりましたので、今回の引退とはまた違います。選手として、もう二度とグラウンドに立つことのない引退です。
--FC岐阜サポーターの熱狂度について
Jリーグでは応援してくれるサポーターはいましたけど、ここまで暖かい、また、熱いサポートをしてくれるサポーターは16年間で、個人的に応援してくれる方もそうなんですけれども、はじめての経験というように感じます。日本代表クラスの選手はそういうのは当たり前なのかもしれませんが。本当にチームが駄目になりそうな時でも、負けた試合でも、「まだまだ俺たちがついているんだ」と声をかけてもらったりしました。Jリーグのチームではなかなかそういうのはなく、負けたらブーイングです。皆さんに助けられました。
--サポーターとも離れますが
本当に、大変暖かいサポーターばかりで、先日20日に引退試合も開いていただいて、時間も少なかったのですけど200人近くのサポーターが集まっていただいて、そういう中で、岐阜で引退できたことは感謝の気持ちでいっぱいです。
今西GMと握手を交わす平岡選手