最新情報バックナンバー|2007年02月今シーズンに向けて力強いコメント!新体制発表記者会見
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(以前の会見で)昇格まで3年と言いましたが、本音は1年です。皆様のご支援よろしくお願いいたします。 私が来る前に新入団選手は決まっていたが、随分激しいポジション争いがはじまった。今のままでもJFLの中位くらいの戦力は整っているが、さらに強力な新戦力が入り、いくつかのポジションを争っている。いい体制が整った。選手同士がお互いにコミュニケーションをとりながら、コーチングをしながらやっている。このチームにはコーチングのキャリアを積んだ人、できる人が多くいる。 当面の目標はJリーグ昇格。つまりJFLで2位以内に入ることです。しかし、満足いかず一戦一戦、真剣勝負で戦っていきます。やはり、選手が大きな力を発揮できるのはひとえにサポーターの応援があるからです。ホームで圧倒的な強さを誇っているチームの多くが、サポーターの応援が強いチームです。「岐阜に何が起こったのか、1万人集まったのはなぜか」とインタビューされたことがありました。ことしも最低目標で5千人、1万人入る試合をしていきたい。 (ファンサービスについて→)選手には感謝の気持ちを持つように日頃から考えさせたい。言葉で「ありがとう」といえるようにしていきたい。県下に出かけていったり、地域のイベントに参加して、県民のみなさまにより近い存在として出ていきたい。 |
昨年同様、サポーターに支えられながら、支援いただきながら、わかりやすく、あたたかく、ファンのみなさまと距離をとらずに皆様と一緒になって、私たちスタッフ・選手一眼となって頑張りたいです。 (発表会での)選手の挨拶は元気がないがグランドでは非常にいいパフォーマンスでやっている。ストライカー・ストッパーというポジションはいい選手が育たないポジションだが、高いレベルをもっている選手が入ってくれたのはうちのチームにとって力強い補強だ。まだ始まって3週間だが本当の力が出始めた。ポジション争いが激しくなってくると思うが、正々堂々とグランドで勝ち取って欲しい。仲良くやってくれると信じていますので、いい補強ができた。 ステージが1つ上がり、J2・J1と目標があるが、一番負けず嫌いなのは僕かもしれない。どうやってでも勝っていくんだという強い気持ちがあれば結果が出てくる。一戦一戦あきらめずに力を出しきります。Jへ昇格するには全員の力が必要になってくる。サブの選手とそれ以外の選手、サポーター、メディアのみなさん。岐阜をあげて、全国の人たちが「どうなってるんだ?岐阜は」という雰囲気をみんなでつくっていきたい。いい準備をして初戦に挑みたい。3月21日( ホーム開幕戦)はたくさんの応援が必要なのでスタンドいっぱいのご声援よろしくお願いいたします。 (チームの特徴は?の質問に対して→)もちろん強いチームが目標です。選手個人の個性を消さないサッカーをしていきたい。個人の個性を潰してまでやるチームづくりはしたくない。もちろんチームとしての約束事はつくっていくが、その中で一人一人が個性を発揮していけば魅力的なチームになる。選手の個性を伸ばせるようなチームにしていきたい。 |
これまでの経験をふまえ、サポートしながらJリーグ昇格を目指していきたい。 ここまでの3週間の間は走るトレーニングが多かったが全て積極的にやれた。昨日の紅白戦では選手は非常にアグレッシブなパフォーマンスを見せてくれた。チーム力がアップしている。 |
ことしも、みんなで参加できるいいチームをつくっていきたい。「子供たちに夢を」与えれるようにしたい。強ければより、夢を与えられるチームになります。できれば昇格して一つ一つ階段を登っていきたい 全員が同じ方向を向かないといけない。チームとして昇格をめざします。個人としてのわがままが出ないように常にコーチングします。それができれば一つにまとまる。優勝しますよ!てっぺんを目指します。そのために何をすべきか。選手として何とか出たいです。 |
目標はJリーグ昇格。はっきりしているのでスタッフ、選手みんなで目標をかなえたい。何とか昇格して今年もビールかけをしたいので頑張ります。 (新戦力について→)心強い味方が入ってきた。新メンバーと今迄のメンバーがいいポジション争いをしている。どのポジションにもバランスよく選手が入って来た。いいコンディションで勝ち取った選手がレギュラーになると思う。 |
氏 名 | 松永 英機(マツナガ ヒデキ) |
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出生地 | 静岡県藤枝市 |
生年月日 | 1963年2月8日(44歳) |
経歴 | 大阪商業大学卒業後、松下電器産業サッカー部(現在のガンバ大阪)でプレー。現役引退後はガンバ大阪、ヴェルディ川崎などで指導。1999年にはウェルディ川崎トップチームの監督に就任し、その後は清水エスパルスの強化担当(2000年?2001年)、同クラブのサテライト監督(2002年)、ヴァンフォーレ甲府監督(2003年?2004年)、ヴィッセル神戸監督(2005年)、佐川印刷SC監督(2006年?2006年8月)を歴任した。 2001年FIFAコンフェデ杯TSGアシスタント、2002年W杯日韓大会TSGアシスタント |
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