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夏休み特別企画Part1 『2005年の奇跡』
(2006.08.04)

FC岐阜はことしになって急激に知名度が上がり、ファンの方々も増えありがたく思います。ことしになってファンになっていただいた方の中でFC岐阜がどんな道のりを辿ってきたのかご存知でない方も多いと思います。とくに昨年!2005年シーズンはFC岐阜の歴史を語るうえで大変重要なシーズンであり、今後のFC岐阜にとっても忘れられない忘れちゃいけないシーズンだったのです!そこで、みなさんにこの感動のシーズンを知っていただくため(旧来からのファンのみなさんは振り返っていただくため)に夏休み特別企画として、『2005年の奇跡』をお届けします。振り返ると、いつもファンのみなさまに支えられていたと、つくづく思います。



2004年12月、森山選手がFC岐阜に入団。ここからJリーグへ向けた本格的な戦いが始まった。続いて北村選手が入団。わずかだったがJリーグを経験したことのある選手数名と働きながら夜間に練習する岐阜県の精鋭により新たなスタートきる。
Road to J


そしてシーズンが開幕。この時点での観客は約250名。今に比べると少ない人数だが、この時点で既に熱い追い風をチーム関係者・選手ともに感じ、未来を信じることができた。開幕戦では森山・北村両選手を欠きながら引き分けというまずまずのスタートをきり、その後の5戦を2勝3分で切り抜ける。
高橋選手



しかし、順調かに見えたチームに悪夢が襲う。2-0と勝ち越し、ほぼ勝利を確信したのだが、後半18分から6分間に3失点を喫し逆転負け。ワールドカップ日本代表の8分間の悪夢(オーストラリア戦)を越える悪夢を経験したのだった。
6分間の悪夢



悪い流れになりそうな時、チームを救ってくれたのは岐阜を愛するファンのみなさんでした。FC岐阜初の企画となる1,000人計画を実施。この時期にしては思い切った企画でしたが、770人のファンが訪れた。この温かい声援に支えられ3-0と快勝したチームは再び勢いをつけることができ4連勝と快進撃を続けることになる。
1,000人計画
感動



昇りつめたチームはその時の首位チーム佐川急便中京SCと首位攻防戦を戦うことに。しかし、この試合では苦戦を強いられ痛恨のドローを喫する。残り試合がわずかとなった時期、1試合も落とせない状況。こんな時はファンの力を借りなければ!とFC岐阜企画第二弾として『長良川メドウを緑で埋め尽くそう』キャンペーン企画を実施することに。
苦闘



苦しい状況のチームを後押しするために、2076人もの観客が詰めかけてくれた。まずは1,000人超えをと思っていたこの時期に『まさか!』と思うような人数が集まった。その温かい声援に後押しされ再びチームは蘇ることができた。その時の首位チームである芙蓉クラブを1-0で攻略し、1部昇格圏内である2位に浮上した。
緑で埋め尽くそう
前進



あとは残り2試合、下位チームを攻略するだけと思われていた時、痛恨のドローを喫してしまう。残り1試合の時点で再び3位に転落・・・。最終戦に勝利したとしても、昇格圏内にいる2位のチームは勝利がほぼ確実視されていたため、得失点差5を跳ね返さなければならない状況になる。すなわち、相手チームが1点差で勝利したとしても、7点差で勝たなければ昇格はない試合。これまで最高でも4-0だったチームにとって、過酷なノルマ。まさに試練。普通ならあきらめてしまうかもしれない。
試練



しかし、選手達は岐阜のためにプライドをかけて、全精力を尽くして戦った。サポーターもあきらめない。アウェーにもかかわらず150人のファンに支えられていた。その結果、7-0で勝利した。結果的に得失点差『1』で芙蓉クラブを逆転し、昇格を決めた。まさに奇跡である。FC岐阜の歴史を語るうえで2005年は後世語り継がれるであろう、忘れられない忘れちゃいけないシーズンです!どんなに苦しくともあきらめない!ネバーギブアップの精神を常に持ち続けるチームであるために、このシーズンには格別な思いを込める。これから、さらに熾烈な戦いを控えるチームにとって2005年シーズンは勇気となる大きな財産である。この奇跡が現在のFC岐阜に至る追い風となったことは言うまでもありません。1年目のチームを支えた監督・選手・チーム関係者・スポンサー・サポーターのみなさまに改めて感謝の気持ちを込めて。
奇跡
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(この模様はCCNさんのカメラに残されています。アウェーでは初のテレビ中継。こちらも奇跡です。)


Part2は、戸塚監督の入団から現在にいたるまでです。

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